命の記録MOVIE

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それでも私は命を救いました。

福田 瑞穗 学生

私は、リハビリやトレーニング、緊急対応を行うトレーナーというものをやっていて、7時からの早朝練習が終わった昼頃、走っていた男性が、突然ぱたりと倒れました。それを目にした瞬間私や、他のトレーナーは走り出し、彼の無事を確認しにいきました。うつぶせに倒れており声をかけてもきちんとした反応がないので、危ぶんだ私は、彼を仰向けにしました。間もなく、彼の顔から色が消えていきそして、固まりました。まるで魔法にかけられて石像に変えられたかのように。(これは、本当にやばい)と考えた瞬間私の体が動きました。

「AEDと救急車連絡!」仲間に投げ捨てるように伝え、心に決めました。絶対絶対助けないと。

AEDを開け、パッドを取り出したとき手が震えているのに気がつきました。練習のときとは全く違う雰囲気に戸惑いました。怖いんだ・自覚しました。ただ、得体の知れない「死」と向き合うことに恐怖を覚えたのかもしれません。私の手はこんなに動かないものだったのか、と一瞬驚愕しましたが、一気にAEDのパッドの袋を破りました。全くよくない状況だということだけはわかりました。力の弱い私は全身を預ける勢いで心臓マッサージを行いました。骨なんか折れたっていい、助かるなら。私の場合、骨を折る勢いでやらないと助からないかもしれない。すべての力、意識、全身全器をこの手にかけていました。

他の救助者と交代しながら、倒れた彼にできるかぎり大きな声で、励まし続けました。

彼の意識がなくとも、彼は聞いていると信じていたからです。「大丈夫」「もう少し」「がんばって」「絶対助かるからね」笑顔で、普段話しかけるように、試みました。私の声がこわばっていたり、弱々しかったりしたら絶対だめだと思いました。先導して救助活動を行っている者として、私はこのように判断したのだと思います。

除細動を行っても、心臓マッサージを何度しても全く反応がなくても、彼の名を呼び続けました。

絶対助ける。絶対私が助けるんだ。彼だけでなく、自分も救助者も奮い立たせるために。

300回ほど心臓マッサージを行ったときに救急車が到着しました。心臓マッサージは手首を曲げて行うため、腕時計の跡がくっきり残っていたのを覚えています。

秋なのに、汗だくでした。その人のことしか、考えることができませんでした。私は、彼を助けること以外に脳が働きませんでした。病院で何時間も待ちました。その後、ベッドで彼が、弱々しくもしゃべり、笑っているのを見て…そこではじめて、心から安心しました。

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